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体験記

21年分のレポート

ペンネーム: 天海

 

 

 私は現在上京して大学に通っている。体調を崩しやすかったりメンタル面の不安定など日々なんとなく不調を感じたりもするが、概ね楽しく生活している。かわいい喫茶店やお店がたくさんあって、電車やバスがたくさん走っていて、日々今日何かに出会わなくても明日には面白いものに出会える気がするという期待がある。また公共交通機関を利用しているとき、ショッピングセンターを歩き回っているとき、レジの店員さんとのやり取り、公園や美術館、図書館にいるときなど、ただ偶然居合わせているたくさんの人の中の一人になっているときはとても心地よい。個人として社会の中に自分がいるという感覚がとても好きだ。大学も大好きだ。大学にはあらゆる人がいる。同年代の学生、上の世代の学生、受講している講義の先生、趣味の合うサークルの人など彼らは大学というフィールドでしか出会うことはない人々なのだと日々感じる。皆学ぶこと、知ることを望んでいるという共通点を持った人々であり、この好奇心という共通点を持つ人々で構成される社会に自分がいると思うことにさらに安心する。

 また私はとても理屈っぽくて、あらゆることが言語化されることをとても重視している。そのため私の知らないことを言葉にして説明してもらえる大学の授業はとても楽しい。作文が得意なわけではないが、論理的に説明することを求められるレポートや論文などの課題には、成績とは別にそれに応えたいと思える。

 私は自分が感じた喜びや不快感、違和感、私と違う他者の感じ方まですべて言葉にして考えたいと思っている。なぜこの音楽が好きなのか、この本のどこがよいのか、もしこれを誰かに紹介するならばどんな本だというべきだろうか・・・。実際に誰かに求められているわけではない。しかし自分が考えていることを説明できないというのは、とても嫌で私にとって恥ずかしいことなので、万が一誰かに聞かれたらと思いながら頭の中でたくさん作文をする。癖になっており、考えないでいることはかえって不安になってしまう。だから私の話はいつも長くてわかりにくい。

 いつも自分が間違えることに怯えている。だからこの考えすぎの元は必死な自己正当化だ。『なんでもかんでも嫌だと思うことはよくない、しかしこの件は○○と○○という点があるから私が嫌だと思うのは妥当だ』といったロジックで自己正当化をし続けている。

 小さい頃の私の行動原理は大人に褒められることだった。そのために学校の授業で先生が挙手を求める場面はほとんど手を挙げていたし、学級内の係を決めるときにはやや大きい役職に立候補していた。他にも学校単位の委員会活動の委員長や運動会の応援団など、数人のリーダーの立候補を求める場面でも基本的に役職のどれかには立候補していた。先生がちょっとしたことを手伝ってほしいと頼まれている子がいるととてもうらやましかった。先生に気にいられることが何より大切だったので日々先生が何を求めているのかを考えていた。学校の中では先生がいうことが正しいことだと思っていた。先生が間違っているといえば間違っているし、間違えることは悪いことだ。

 小学1年生のとき、大好きだった先生がクラスの子の中でいじめられていた子と私を隣の席にした。私は周りの雰囲気に流されてその子にあまり好意的でない態度をとった。それを見た先生に「あなたはそういうことしないと思っていたのに」と言われた。当時の私は私が嫌がらせに加担した自覚よりも、先生に失望されたことに何よりもショックを受け、その後の小学校生活でも大きなトラウマになった。もちろん成長の中で、人との関わり方で気にするべき大切なことはそんなことじゃないと理解した。しかしそれからしばらくの間公平性のある態度で友達と関わることは、先生を失望させないための行為だった。小さい頃の私にとって正しいことは大人に褒められることで、間違えること、それによって大人に失望されることは何よりも怖いことで、この経験はより拍車をかける出来事だった。

 結果的にこの考え方は人との関わり方や勉強面、学校内のリーダーの経験など、私にいろいろな力をつけさせたと思う。今振り返ると窮屈な考え方で生きていたと思うし、今の私が昔の私に出会ったら心配して学校ごとやめさせた。

 その後中学校でもしばらくは先生を気にして頑張っていたが、本来私は器用ではなく、思ったように学校生活を過ごせず行き渋るようなことが何度かあり、進学した高校では毎日の補講のための早い登校時間に毎日のように遅刻し、日々の宿題の提出もできなくなった。そしてついに学校のルールにも納得がいかなくなり不登校期間3か月ほどを経て明るい気持ちで休学した。また家庭内にも嫌なことがあり、家にいられなくなったので家を出て長野県の通信制高校に転校した。転校先の高校には義務教育の期間ほとんど学校に行っていなかったという人もたくさんいた。学校の中で、真面目に先生の望む学級運営のために毎日を過ごすことで精いっぱいだった私とは、真逆の子供時代だった。それでも彼らには生きる力があったし、彼らの考えはそれまでに出会ったことのある人達よりも私にとっては面白かった。そうして私の『正しい』観はだんだんと矯正され、自分自身への制限はどんどんと緩んでいった。最近では、自分に寛容な方が生きやすい、大人は別にそんなに正しいわけじゃない、大切なのは生きる力で力を付ける方法はたくさんある、などのことが分かってきた。さらに反動で、不当な制限に対して大きくストレスを感じる、随分屁理屈を言うわがままな人間になった。

 しかし、間違えることへの恐怖は潜在的に残っているので、今でも自分の考え方や自分のこれまで、学校をやめたことを正当化するための理屈を考える反芻をずっとやめられず繰り返している。これは今も少し生きづらい。

 さて先述の通り私は現在大学生で、大学では社会学を学んでいる。社会学とは何か、説明するのはまだ社会学初心者の私には難しいのだが、みんながその人らしく生きやすくなることを目指し、現代の社会の形を見直し問い直す学問だと考えている。労働に関する問題や地域社会の中で起こる問題、ジェンダー、福祉、家族、教育など、現代社会の中で起こっている問題について幅広く扱い、それぞれについて深く検討されている。授業の中で、同じ地球の同じ時間の中で、同じ国・地域に生きていても今まで私が知りもしなかった誰かの苦しみ、または存在していることを知っていたのに目を瞑っていた人々の存在を知らなければならないことが何度もある。この苦しみをなくすために毎日のように動き回っている当事者や支援者がいることも知りながら、行動に起こさない自分に腹が立ったり、無力感を覚えたりする。苦しい学問だと思う。

 社会学を学んでいると、個人的な悩みは個人が考えているよりずっと社会的な問題だと感じることが多い。私も少し窮屈で生きづらい日々を過ごしてきたと思っているが、考え方を変えてみると、私の生きづらさは子供時代に出会う大人が少ない現代社会の構造や現在の担任制度から生まれたと考えられるかもしれない。他にも私の家庭内で起きた嫌なことも、背景があり地元の地域性が影響していたり、そもそも家族の中で起こりやすい問題だったりと意外と個別的なことではないとわかってくる。

 もちろん理論だけで解決されることは多くないと思う。しかし、たくさんの生きづらさには構造的な原因が潜んでいることがあり、見方を変えることで誰かの生きづらさを解決できるかもしれないということが分かったことは成果である。これからはもっと自分の目で現実を見て、具体的な行動に起こしていきたい。

 私は『社会』が好きだ。『人』が好きなのかというと、最近まで否定していたが、最近では人が好きなのかもしれないと思うようになってきた。私が私らしいと感じるのは、社会で出会う人々との違いを感じるときだ。だから社会に生きる人々が自分らしく生きることは、私が私らしく生きることにつながる。また目に映る人が幸せそうだと、私も幸せな気がする。これを原動力に私は私が幸せであるために、少しでも生きやすい世の中になるために、利己的に、小さく小さく助力していきたいと思う。

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