top of page

体験記

これまでとこれからと

ペンネーム: F.Y

 「20 人に1人」「一生のうちに経験するのは6,7人に1人」 


 こう聞いたら、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。”経験する”とあるので病気か何かだろうと予想する人も多いかと思います。

 
 上に記したことは、「うつ病になる人の数」と言われています。正直、自分でも調べてみて驚いた記憶があります。例として小中学校の1クラス 30 人で考えると、1 クラスに1人ないしは2人、うつ病を経験している人がいるということです。そんなに身近なものなのか、当時の自分はそんな風に考えていたように思います。 


 「親戚のおじさんだって、今は働けない状態になっているよ。」「誰でもなる可能性があるんだよ。」 


そんな声をかけてもらったのはいつだったでしょうか。多分自分が新卒で働き始めた頃でした。地元を離れて、今まで経験したことのない職場で、社会人として働くということ。今までは親という存在が防波堤となり、責任から守られていたということ。納税の義務や各種保険、確定申告など、今まで知らなかったことが目白押しで押し寄せてきました。それに直面することは存外自分には負担で、1年目は泣きながら「何も分からない」「仕事ができない」「人並みのことすらこなせない」と膝を抱えてうずくまってしまうことが沢山ありました。 


 思えば、その頃からうつ病になりやすい兆候はあったのでしょう。それでも仕事は楽しかったし、幸いにも職場の人間関係もそれほど問題はありませんでした。何もできない自分に嫌になりながら、「自分にも何かできることはないか」と思いながら、どうにか自分を受け入れつつ日々を送っていました。 


 そんな自分が、何年後かにうつ病になるとは、全然考えていませんでした。どこか遠い「誰か」の話だと、勝手に思っていたんです。 


 社会人となり数年が経ち、自分にとって夢のようなものができました。恥ずかしながら、幼少期から大学生という期間の中で、「何かになりたい」「〇〇という仕事がしたい」と思ったことがなかったのです。無意識の内に親の顔色を窺い、求められる子どもの姿を演じていたのだと思います。そんな自分が、初めて「こういう仕事がしたい」と思えた。具体的に「なりたい自分の姿」を思い描くことができた。自分にとって初めて味わう気持ちでした。このまま仕事をしながらスキルアップして、自分がやりたいと望んだ仕事をやろう。そのためにやるべきことは何か、考えている時間はとても楽しいものでした。

 
 ところが、突然その夢については目指すことも難しくなってしまったのです。 


 元々、親の顔色を窺いながら生きてきたと自覚した時から、「今までの自分とは一体何だったのか」と自分自身に不信感が募っていました。自分は自らの意志で選択し、生きてきたと思っていたのに。それらが全て、「親に怒られないように選んできた」ものだったとしたら。自分の意志とは何だったのか。もしかしたら、自分には意志なぞ元から有りはせず、誰かの顔色を窺って生きていくしかできないのではないか。

 
 今までの自分に対する信用も何も無くなりかけて、ずっと自分への不信感、そして家族への不信感が募っていきました。思い返してみれば、自分の家族は何かがおかしかったのです。人によっては、許容できることだったのかもしれません。しかし、自分にとっては「許せないこと」「変だと感じること」ばかりだった。それを自分は家族という枠の中にいるためだけに、あえて見ないふり知らないふりを続けていたのだと、思い至りました。家族の中に広がるおかしいところを、自分は我が身可愛さで深く追及しようとはしなかった。保身に走った卑怯者である自分と、歪んでいるように感じられる家族の関係。それらを認めた時に、思えば自分の心は無理をしていたんでしょう。 


 歪んでいるとしても、自分にとっては大切な家族です。大事にしたいと思っていました。とある要因で、家族の内の 1 人が緊急手術することになるまでは。 


 とある要因と書きましたが、そうなってしまったのはいくつかの事が重なってしまったからでしょう。その 1 つは歪んだ家族関係であると自分は考えています。手術から数年が経ちましたが、今でも手術する状況になるまで気付くことができなかった自分が憎いですし、そこまで追いやった家族の一部を恨んでいます。 


 自分の未熟さや卑怯者であること。仕事が上手くこなせない事実、単純に労働時間が長かったこと。そして家族の歪みを受けて倒れるに至った大切な家族のこと。 


 これら全てを受け止めた瞬間に、「もう生きていかれない」と思いました。突然呼吸が遠くなり、息が吸えなくなりました。地上にいるのに水中のようで、どれだけもがいても決して楽にはならないのです。それが初めて職場で過呼吸を起こして倒れた時のことでした。 


 それまでの自分にとって、うつ病とは「心身ともに疲弊して、意欲がなくなった状態」のようなものという認識でした。しかし自分が、過呼吸を起こして動けなくなる、仕事中に訳もなく突然涙が出てきたりするなどといったことを経験すると、うつ病にも様々な症状があり、人によって本当に大変なのだと実感しました。自分の場合はパニック症状から始まり、動悸、不眠、情緒が不安定になり、実家にいることができない、というように段々と増えていきました。きっとこの時に心を休ませるという選択をすれば、もっと今よりはましだったのではないかと思います。けれども自分は働けると思っていたし、働いていたかったのです。それしか自分の価値はないと考えていました。薬で何とか症状を抑えながら、1年ほど働いていたと思います。 


 実家は、自分にとって安心できる場所ではないと分かった時に、「このまま実家にいては、自分は自分でいられなくなる」「死ぬしかなくなる」ととてつもない恐怖を感じ、夜逃げ同然に逃げ出しました。部屋を借りて家族から離れて、安心していい場所を見つけたと感じた時に、きっと張りつめていた糸が切れたのでしょう。再び職場で倒れ、今度は働き続けるということができませんでした。 


 休むという選択をするのは、正直怖かったです。働くことでしか価値が自分の中には見出せず、休んで横になっていても、常に「誰かの負担になっている」「迷惑をかけている」と考えていました。好きだったはずの本を読むことも映画を観ることもしたくなくなり、食べるという行為そのものが自分の中で重くのしかかり、やりたくないことになっていました。「自分のような人間が生きていても誰かの邪魔になるだけでしかない」「このまま何の価値もない人間でいるなら死んだ方が遥かに世の中のためになるはずだ」と思い、極力迷惑をかけない死に方を日がな一日探し続ける日々でした。 


 今思えば、生きるということから逃げているだけだと思うのですが、その時はそれで精一杯でした。食べずにいると体力も筋肉もなくなっていくことを知りました。寝ることにも体力が必要だということを知りました。ずっと横になっていると立ち上がることも大変になることを知りました。立ち上がるとふらつく自分の足を見て、なぜか笑えてきたことを覚えています。それ以外、休んでいる間のことはほとんど覚えていません。

 
 休職させてはもらいましたが、それがずっと続けられるわけもありません。それまで名前だけ残させてもらっていた仕事を辞める時に、やりたかったことを思いました。もう二度とできないんだと、諦めるしかないと思いました。仕事を辞めてから、自分はこれからどうしていったらいいのか。何も思いつかないままでしたが、その時は貯蓄が尽きたら死ねばいいかと考えていました。 


 その時、話を聞いてくれたり寄り添ってくれたりしたのは、友人達でした。生存確認と言いながら顔を見に来てくれたり、放っておくと何も食べない自分を夕食に招いてくれたり、関わってくれる友人達のお陰で、どうにか外に出られるようになっていきました。 


 それから、体力を戻すためにアルバイトをしたり散歩をしたり、少しずつ動くようになっていきました。部屋にいる間はずっと死について考えるばかりでしたが、外に出たらそんなことをしている余裕はなかったです。バイト中は新しいことを覚えるのにてんやわんやでしたし、散歩に出ると季節の花が驚くほど咲いていることに気付きました。自分はきれいなものが好きだったなと、好きなものを思い出せたのもその時でした。

 
 友人達が声をかけ続けてくれたり、前の職場で知り合った方が手紙をくださったりと、自分は周りの人達によって助けられました。死ぬことしか見えなかった視界が、少しずつ広がっていったのです。そのお陰で、諦めようとした「やりたかったこと」にも、違う形で取り組めないかと、もう1回やってみたいと思えました。

 
 その時、ひょんなことから縁を結ばせてもらったのが「ねこのしっぽ」さんであり、「ひるねこ」さんでした。自分で生きていこうとする人達を支える福祉施設があると、それまで自分は知りもしなかったのです。頼れる誰かがいる、外と繋がりを持てる、このことがどれだけ大切なことか。自分が経験して初めて分かりました。 


 現在、沢山の方々に支えてもらって、自分は立つことができています。正直、死にたいという気持ちが無くなったかというと、そんなことはないです。今もその気持ちは残っています。先の見えない生活は不安ですし、苦しいです。それなら死んだ方がいいと考える自分も確かに存在します。ですが死ぬことは先延ばしにして、生きていってもいいかもしれないと考える自分も、確かに存在しています。全て抱えて死にたいこれまでの自分も、先も見えないし不安しかないけれどやりたいことに近づいていきたいこれからの自分も、どちらも等しく自分なのだと最近は思えるようになってきた気がします。 


 自分がこれから先、どういう選択をしていくか分かりません。けれど、ふと振り返った時に「悪くなか ったな」と思えるようにしたいなと思います。 

古川 由莉香さん(アイコン)-light.jpg
bottom of page