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体験記

家族とは

ペンネーム: スパソロ

                           

今回は、私の2番目の兄の事を書きたいと思います。 
その兄は、現在 51 歳となりました。 
今日も、A型事業所に働きにいってくれてます。普通の人にとっては、普通の事かもしれません。 
だだ、我々家族にとっては、25 年近く夢にみた光景です。 
普通って普通じゃない事を思い知りました。家族が普通である為には、日々を脅かすものがあ っては大変です。それが、たとえ一人の行いであったとしても、家族に苦痛を与えているのであれば、幸せとは言えません。 
家族っていったい何なの?家族の意味は? 
なぜ、家族故にこれだけ苦しまなくてはならないの? 
要は、そんな話です。 


25 年前に遡る事にしましょう・・・・・・(タイムスリップ) 
(ここからの文章は、内容が、かなり過激になる為、人によっては苦しくなる可能性があります。予めご了承ください) 


突然聞こえてくる、どなり声。激しくどなっている。どなっている相手は長男だ。 
思いと違う事があったようなのだが、どなりが激しすぎる。 
話し合いなどどいう言葉は、次男には通用しない。 
いよいよ、いつもの様に、暴力に発展してきた。 
自分の思い通りにならないと、怒りがすぐさま沸点に達し、相手を攻撃し続ける。 
表情はというと、目は吊り上がり、顔の色はまっ赤。 
かなり興奮している状態だ。 
とにかく、相手が、負けを認めるまで、永遠に続く。 
要望が、理不尽すぎる為に、こちらも引きようがない。 
とにもかくにも、自分が絶対正しいのだ。正しさの主張の為には手段を選ばない。 
そう、その為には暴力さえ使うのだ。 
そうなると、こちらも命がけだ。相手は、包丁、はさみ、鉄の棒など、ありとあらゆる物を使 って脅してくる。 
現に長男は、何度か骨折している。父も母も、あざだらけだ。 
こんな言葉を使っていいのか分からないがこの人は「きちがい」なのか。 
何度も何度もそう思った。 
とにかく、暴言、暴力が後をたたない状況だ。 
ただ、こちらも生活がある。いつまでも、付き合ってはいられない。 
腹もおさまらないし、ストレスも相当な状態ではあるが、そろそろ終わりにしないと 
次の日に影響がでる。要は、深夜まで続いてしまう事もあるのだ。当時の次男は、仕事をしていないので、エンドレスに時間を使う事ができる。 
自分の正しさに執着する余り、相手を攻撃する事に何の罪悪感もなければ制限もない。 
むしろ、ダメージを与えようという意図が明らかだ。 
そうなると、暴言の内容もえげつない。 

絶対に言ってはいけないことも、平気で言えてしまう。 


散々どなり続けた後は、土下座タイム突入だ。 
こちらが、土下座をついて謝らないと、この怒りが治まる事はない。 
全面的に、非を認め、あなたが正しいですという儀式だ。

 
それでも収まらないと、第2回戦目は母の役目になる。 


次男が、納得いくまで、しゃべりを聞かなくてはならないのだ。 
話の構成は、99%ネガティブな内容だ。 
要は、「お前のせいだ」みたいな話を一方的にされる。 
2時間でも3時間でもだ。 
また、暴言、暴力タイムに戻らない様に、最大限気を使う。 
ネガティブな話を聞き続ける事は、さぞかし苦しい時間だったろうと思う。


当時、この様な状態が、ほぼ毎日続いた。 


この当時の家族の思いは、しんどいの一言につきる。 
まずは、どなられた時の心境だ。あまりどなられると、脳が萎縮してくる。 
とにかく、会話にならないので、つらい。 
一方的に、しかも感情的に大声を張り上げられると、心に受けるダメージが大きい。 
それが続くと、心が回復しないままダメージが上乗せされるので、どんどん心がすり減っていく。日々、限界との闘いだ。 


当時、なんでこんな奴が家族にいるんだろうって本気で思っていた。 
仕事はできない。都合が悪いとあばれる、どなる。近所の人とトラブルを起こす。 


全くいい所がない。なぜ生きているのか、存在価値を見出すことができなかった。 


余りに苦しい日々は続いていたが、 
なぜ、こんな状態になってしまったのか。 
一体、彼の頭、心はどうなっているのか? 


調べる事になった。 


最初に言っておきますが、この先、彼は自閉症スペクトラムという診断を受ける事になる。 その他にも鬱や人格障がいも合体している。 


今でこそ、発達障がいの文献は、本屋に行けば、わんさか積んである。 
社会に、浸透してきた証拠だ。 
しかし、当時は、全く、市民権、社会権を得ていない。 
当時は、アスペルガーと呼ばれていたが、精神医学の専門家ですら、よく分かっていない時代であった。色んな情報を紐づけしていったが、一旦アスペルガー症候群という所まではいきついた。とはいえ、何か解決の方法が見つかった訳ではない。 


当時は、警察、市役所、精神科医には、よく相談に行っていた。 
しかし、「本人を連れてきてくれないと何もできないんです」っと言われる。 
正直、絶望だった。何の糸口にもならない。 
本人に、精神科に行く様に勧めた日には、「俺をきちがい扱いするのか」っていいながら暴れだすことは確定である。ほんとに確定なのだ。 
そんな事言えるはずもなく、どうしたらいいのか途方に暮れる日々が続いた。 


両親と長男は、自営業なのだが、次男が怒りモードに入ってしまうと、仕事ができなくなってしまう。仕事をとめられる事もしょっちゅうで経済的にも年々苦しくなっていった。 
この状態が、本当に 25 年近く続くのだが、ある時この様な事を言った人がいた。 
「家族とは、苦しみをシェアする事ではない。喜びを分かち合うものなのだ」と。 
もちろん、そんな事は分かっている。できる事なら、そうしたい。 
そんな事ができるのなら、どんなに幸せなのだろうと幾度も考えた。 
しかしながら、空しく時間だけが過ぎていった。 
心も経済も限界に近づいていた。 


そんなこんなで、時代は令和になった。 
新しい年号には、期待したい思いがあった。何か根拠がある訳では無かったが、そんな事にすら期待しないと、やってられない心境だったのだと思う。 


ただ、時代が変わったからなのか、システムが変わったからなのか、この辺はよく分からないが、この頃から、何かが変わっていくのを感じる様になった。 
あくまで感覚の域をこえない話ではあるが。 


何回目か忘れたが、役所に相談に言った時の話だ。 
いつもの様に、解決にはほど遠いありきたりの説明を聞いていた時の事。 
ふいに「ひるねこ」さんってご存じですか?っと聞かれたのだ。 
「ひるねこ」を同級生である野中代表がやっている事は知っていたが、中身まではよく知らなかった。 
折角、紹介してくれたので、取り合えず行ってみようと心に決め、ひるねこに行ってみる事にした。 
「こんにちは~」っと声をかけると、野中代表がでてきた。 
「久しぶり~」っとなつかしみながら挨拶をしてくれたのだが、何しにきたのだろうって顔をしていた。 
「実は~」っと話をしようとすると、何かを感じてくれたのか、部屋に案内され、じっくり話を聞いてくれるシチュエーションを用意してくれた。 
2時間位だったと思うのだが、今までのエピソードを一通り聞いてくれた。 
スムーズに話せた事が印象に残っている。
聞き方もうまかったのだろう・・・
話も終わり、野中代表の第一声目にでてきた言葉が
「大変だったね~」だった。

うわべの軽い感じではなく、 
ほんとに分かっている「大変だったね~」だった事を記憶している。 
我々は、どんな理解でその言葉をいっているのか瞬時に分かっってしまう所がある。 
何かほっとした感覚になった。 


よくよく考えたら、専門家や行政機関以外の場所で、兄の事をしゃべった事は1度もなかった。身内以外初めてしゃべる事ができた他人が野中代表という事になる。ようやく、この話をする事ができたのだ。 


今までは、理解の中で話をした事がなかったのだと思う。 
話をしても、理解がないと、かえってモヤモヤしてしまう経験は誰しもあるだろう。 
「話をすれば楽になれる」とそんな簡単な話ではない。 


今まで、背負っていた物が、軽くなった様な感じがした。 


これは、他の家族にも経験して欲しかったので、野中代表に依頼してみると、 
快く引き受けてくださった。両親と兄夫婦、それぞれ別の日に 
同じように聞いてもらった。 
家族達も他人への初めての開放だった。 
ほんのり希望もわいた事も有難いが、なにより限界点が伸びた事が大きい。 
いつ何が起きてもおかしくない状況だったので、もう少し踏ん張れるって気持ちになれた事は、その後の家族の活動にひとすじの光を与えたと思う。 
一大事の手前で、何とか防ぐ事ができた。 
更に、家族以外の人間に、希望を持つ経験を出来た事が嬉しくてたまらなかった。 


もちろん、これで何もかもが解決した訳ではないが、理解や共感の有難さを痛切に感じた。 


その後、色々あった後、いいよいよ野中代表と次男が会う事になる。 
話の目的はあるにはあったが、よく会ってくれたと今でも思う。 
それ位、難易度の高い相手なのだ。 
発達特性が強すぎて、会話にならない事も多い。 
それでも、会ってくれた事は、心意気以外の何物でもない。 
ただ聞くだけの展開だったと思うが、必死に相手をしてくれたのだと思う。 


彼女曰く、1 回目は、失敗に終わったと反省の弁を述べてきたが、何とか 2 回目に繋げてくれた。 
2 回目は、話も上手くいき、今回の目標であった話まで、しっかり持って行ってくれた。 
有難い限りだ。 
その後、この行為がきっかけとなり、新しい方向へと向かうことになる。 


その後も、家族で次男とは向かいあっていく訳だが、相変わらず色んな事は起こった。 
ただ、徐々に次男に対しての思いも変わっていった。 

一番苦しいのは、他でもない、次男なのだ。 
暴言や暴力だって、いうなれば「心の叫び」なのだと思う。 
何を伝えたいのだろう?どの部分が苦しいのだろう? 
その様に考えれる様になってきた。 


家族間でも、「責めず、裁かず、見守る」というフレーズが合言葉になっていった。 
人間とは面白いものだ。知らないうちに、人を責めたり裁いたりする生き物だ。 
その気がなくても、どこか責めている自分がそこにはある。 
これは、間違いなく相手に伝わる。 
ましてや、精神的に敏感な相手なら余計にそうなってしまう。 
人を責めない事、これがまた非常に難しい。自分を責めない事も難しい。感情が邪魔をしてしまう。またもや責めてしまっている。 
これの繰り返しだ。 
ただ、次男との関係は、我々にとっては、「人生のテキスト」になっていった。 
いわゆる、心の鍛錬だ。 
次男の心の叫びを受け止めながらも、見守る事ができる様になってきた。 
そう、全ては心の叫びなのだと考える事がお互いの精神の安定にも繋がっていった。 
適正な距離をとり、不必要に介入せず、要望があった時だけ、真剣に向かいあうというスタイルも意識した。


1 つの事を伝えるのに、数年かかる事もある。それでも、あせったりしなくなった。 
どんなに、正しくても、当たり前と思っていても、伝わらないタイミングで言ってしまえば、相手を追い込むだけだ。 
そんな事が分かってきた。 
次男が家族である意味も、除々に考えれる様になってきた。 
っというのも我々家族が、精神的に成長できたからだと思う。 


この経験は、どんな本を読んでものっていないし、勉強したからといって分かるものでもない。その状況に置かれた人が、苦しみもがき、悩み考え、絶望と失望を繰り返しながら、 
ようやくたどり着いた人生の答えであり家族の答えなのかもしれない。 


今となっては、この経験が多方面に渡り、活かされている。 
無駄な事は、ないのだと思わせてくれる。 
究極の人間修養なのだから、当然の事なのかもしれない。 
風の時代の答えなのか、新時代の一つの答えを先に得た気分になる。 
本当に有難い。 
奇跡的な結果と直面できる様になったのも、この経験で学んだからだと思う。 
仕事、夫婦、人間関係、全てに繋がっている。 


ただ、次男も決して治った訳ではない。 
発達特性は、そのままだ。 
ただ、以前と違うのは、我々の受け止め方だ。今でも、大きい円と長いスパンで、ゆったり見守っている。「大きく、長く」を常に心にとめている。 

家族の事は、基本逃げる事はできない。 
故に苦しいことも多い。 
ただ、今となっては、この事には感謝しかない。 
苦しみや絶望の果てに見えた景色が、案外綺麗で、可能性そのものだったからだ。 
皆様も、自責と他責のループから解放されて欲しい。 
何とか、この苦しみが意味あるものになる日がくる事を願わずにはいられない。 
ただ、我々が今生きている時代は、風の時代だ。 
苦しみを与えるのも時代かもしれないが、希望を与えるのもまた時代なのだと信じたい。 
風の時代を信じると共に、その方達の生きる力も信じたい。 
共に参りましょう! 
最後に、一緒にスクラムを組んでくれた家族に心より敬意を表したいのと、次男から逃げなか った野中代表に心からお礼を申し上げたい。 

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